2009年 06月 24日
遅くなったけど・・・
東京にいる後輩のたけしから第一報が入り、ニュースを見て呆然とした・・・
最近はプロレスは見ていなかったけど、三沢といえばわんの中では2代目タイガーマスクの印象が強くて、小学校4年の時は土曜日の夕方4時ごろから友達らとみんなでTVに写るタイガーマスクと高速ブレーンバスターのダイナマイトキッドや、小林邦昭との試合を楽しみにしていた。
特にわんはスープレックス系が大好きでただのジャーマンではなく小林のフィッシャーマンズ、藤波のドラゴン、などいろいろあるけどこの三沢タイガーのタイガースープレックスシリーズが楽しみでしょうがなかった・・・
はっきり覚えてるのがタイガースープレックス’84 (のちにこれがいわゆるタイガースープレックスと呼ばれるようになる)
そして次の年に出てきたタイガースプレックス’85
それでタイガースープレックスシリーズは終わってしまった(2つかよ・・・)が、「今週はどっちで決めるんだ?どっち?希望としては’85でお願いします・・・」と心の中で祈るように試合を見ながらワクワクしてたけど、普通にジャーマンで決まる事が多かった気がします・・・
それでその影響で小学4年の時の昼休みは、名小の旧体育館にあった高跳び用の安全マットがわんなんかのリングだった・・・
当時全日本に出ていた故ケリーフォンエリックが好きでアイアンクローで有名なフリッツフォンエリックの息子ケリーがまさにタイガークローというこめかみを握力で潰す技に憧れ、1人で毎日ニギニギしたり、スープレックスのトレーニングで首ブリッジしたりしてて、昼休み1本勝負にはいつもタイシをわんの必殺クロー攻撃で弱らせて最後はタイガースープレックスで葬り去る日々でした。
昔から一番の友であるタイシさんはその当時スープレックス中毒で、喰らうのが気持ち良かったらしく、素晴らしい受身をしてくれていたのでわん自身も思いっきり投げつけてはフルブリッジでカウント3するのに快感を覚えていた・・・
時にはジャーマンで投げた時にタイシさんは自分の膝で自分の鼻を強打し、鼻血が止まらなくなって保健室に走っていって、鼻に脱脂綿をつめたまますぐ戻ってきて、「おい、もう一回投げれ!」と小4なのにかなり男を見せてたのとか思いだす・・・
とまぁ三沢タイガーがわんにとってはリアルタイムタイガーなのである。
だからその後も全日、NOAHでもタイガードライバーやタイガースープレックスを決める瞬間がとても好きでした・・・
プロレスラーは突然亡くなる事が多いと思う・・・
男なら必ず通る憧れる姿のプロレスラーはやはり危険な仕事なんだなぁ・・・
それだけにカッコイイと思うんだろうね・・・
橋本も大好きだった。 今は格闘技が好きだけどやはり昔から好きなレスラーは永遠に好きなもんですね・・・
三沢さん、天国で安らかにお休みください・・・ 子供のころに頂いた熱い思いとそこから生まれた楽しい思い出と今に繋がる闘う精神をありがとうございました☆
タイガーマスクといえば初代がインパクト強すぎて以降が影が薄いが、アニメでもわんはタイガーマスク二世でした☆ ちょうど三沢タイガーと同じ時期だった気がします。
タイガー! 三沢! 全日、NOAH 昭和から平成の日本のプロレス、いつまでも大好きです♪
by daigonakatani615
| 2009-06-24 19:23
| ザ☆奄美